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道路名で読み解く神戸の街角物語:知られざる「通」と「筋」の世界

皆さんは街を歩くとき、道路の名前に注目したことがありますか?
普段何気なく通り過ぎている道路の名前には、実はその街の歴史や文化が隠されているかもしれません。

特に神戸の街は、他の日本の都市とは一味違う特別な道路の呼び方をしています。
「仲町通」「乙仲(おつなか)通」などの「通(とおり)」と、「明石(あかし)町筋」「播磨(はりま)町筋」などの「筋(すじ)」―こんな道路名を見たことがありませんか?
実は、この「通」と「筋」という言葉を使った道路の名付け方は、日本の中でも大阪と兵庫にしか見られない珍しいものなのです。
でも、なぜ神戸の道路にはこのような名前がついているのでしょうか?

この記事では、神戸の街に刻まれた「通」と「筋」の物語を紐解いていきます。
明治時代から現代まで、神戸の街の発展とともに歩んできたこれらの道路は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。
さあ、神戸の街の歴史探訪の旅に出かけましょう。きっと、あなたの知らなかった神戸の一面が見えてくるはずです。

神戸の地図に隠された秘密:「通」と「筋」の由来」

神戸の地図を見ると、道路の名前に「通」と「筋」がたくさん使われているのに気づきます。
例えば、「仲町通」や「乙仲通」、「明石町筋」や「播磨町筋」などです。
実は、この「通」と「筋」という言葉を道路の名前に使うのは、日本の中でも大阪と兵庫だけなんです。
これって、とてもユニークで面白いですよね。

明治時代の街づくり:外国人居留地と道路整備

では、なぜ神戸の道路には「通」と「筋」があるのでしょうか?
その理由を知るには、神戸の歴史をちょっとさかのぼる必要があります。
神戸で「通」と「筋」を使い分けるようになったのは、明治時代からです。
当時、兵庫県が神戸に外国人居留地という、外国人が住むための特別な区域を作ることになりました。

この区域を整備する時に、特に重要視されたのが東西方向の道路でした。
なぜ東西方向の道路が大切だったのでしょうか?それは、京都から下関までをつなぐ重要な道路、西国街道が東西に延びていたからです。
この西国街道は、昔から多くの人や物資が行き来する大切な道だったんです。

1872年(明治5年)に、最初の重要な道路が完成しました。
この道路は海岸に面していたので、「海岸通」と名付けられました。
これが神戸で最初の「通」という名前の道路になったんです。
今でもこの道は残っていて、国道2号線として使われています。

海岸通 ©KOBE TOURISM BUREAU

その後、海岸通と平行して「仲町通」や「前町通」が作られ、少しずつ街の形が整っていきました。
神戸では、これらの東西方向の道路が街の中心となり、「通」と呼ばれるようになりました。

では、「筋」はどうでしょうか?「通」をつなぐ南北方向の道路を「筋」と呼ぶことにしたんです。
これは、隣の大阪市のやり方を参考にしたそうです。
つまり、神戸では東西の道が「通」で、南北の道が「筋」というルールができたわけです。

ユニークな命名:道路名に込められた歴史

道路に名前をつける時、神戸の人たちはとてもユニークなアイデアを思いつきました。

外国人居留地の道路に、日本の有名な都市の名前を使ったんです。
「江戸町筋」「京町筋」「浪花町筋」です。
江戸は今の東京、京は京都、浪花は大阪の古い呼び方です。

旧居留地(浪花町筋) ©KOBE TOURISM BUREAU

他にも面白い名前がありますよ。
「明石町筋」は明石藩から、「播磨町筋」は播磨国(今の兵庫県の一部)からとられました。
「伊藤町筋」は少し違って、兵庫県の初代知事だった伊藤博文さんの名前からつけられたそうです。
「鯉川筋」という道路もあります。
なぜこんな名前になったかというと、昔そこにあった鯉川という川の上に蓋をして、その上に道路を作ったからなんです。
この道は「メリケンロード」という愛称で呼ばれています。
「メリケン」は「アメリカン」が訛った言葉で、外国人居留地に関係がある道だったからこう呼ばれるようになったんですね。

旧居留地(明石町筋) ©KOBE TOURISM BUREAU

地名の誕生:「通」と「筋」が消えた後

さて、1899年(明治32年)に外国人居留地が日本に返還されると、道路の名前から「通」と「筋」がとられ、そのまま地名になりました。
「江戸町筋」は「江戸町」に、「明石筋」は「明石町」になったんです。

これによって面白いことが起きました。
兵庫県には今、「明石市」と「神戸市中央区明石町」という二つの「明石」ができてしまったんです。
同じように、「加古郡播磨町」と「神戸市中央区播磨町」という二つの「播磨町」もできました。

大阪の古い呼び方からつけられた「浪花筋」も「浪花町」という地名になりました。
そのため、漢字は違いますが、「大阪市浪速区」と「神戸市中央区浪花町」という、同じ「なにわ」という読み方の地名が二つできたんです。
これって、ちょっと紛らわしいですよね。

神戸の街の変遷:川の改修と新しい道路

神戸の街づくりには、自然を変える大きな工事も行われました。
居留地の整備の際に、当時あった旧生田川(いくたがわ)という川の流れを人工的に変えて、新しい道路を作ったんです。
この道路は今、県道30号新神戸停車場線として使われています。

戦後、この道路には歩道や真ん中の分離帯に花が植えられるようになりました。
1957年(昭和32年)には、日本で初めての花時計がこの道路に作られました。
そのため、この道路は「フラワーロード」という愛称で親しまれるようになったんです。
花がたくさん咲く美しい道路を想像できますね。

ちなみに、今の生田川は新幹線の新神戸駅からまっすぐ南に流れています。
これを「新生田川」と呼ぶこともあります。
昔の生田川とは全く違う場所を流れているんですね。

まとめ

神戸の街を彩る「通」と「筋」。
これらは単なる道路の名前ではなく、実は神戸の発展の歴史を物語っているんです。
明治時代の外国人居留地整備から始まり、都市の発展、戦後の復興を経て現代に至るまで、神戸の街並みは大きく変化してきました。
しかし、「通」と「筋」という独特の呼び名は、その歴史を静かに物語り続けています。

海岸通を歩けば、かつての外国人居留地の様子を想像できるかもしれません。
外国から来た人々が、どんな気持ちでこの道を歩いていたのでしょうか。
また、明石町筋や播磨町筋を歩けば、その名前の由来となった地域とのつながりを感じられるかもしれません。
フラワーロードを歩けば、戦後の神戸の人々が、どれだけ美しい街づくりを心がけていたかが分かりますね。
花時計を見上げながら、当時の人々の思いを感じ取ることができるでしょう。

次に神戸を訪れる機会があれば、ぜひ地図を片手に「通」と「筋」を探してみてください。
神戸の「通」と「筋」は、私たちに街の歴史を静かに語りかけています。
その声に耳を傾けてみれば、きっと新しい発見があるでしょう。
神戸の街歩きが、もっと楽しくなるはずです。

最後までご覧いただきありがとうございました。


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