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御影という地名と神功皇后の伝説の間に深い関係。歴史と日本酒が織りなす風景

神戸市東灘区の御影(みかげ)は、ただの地名だと思ったら大間違い!実は、この場所には古代日本の女王、神功皇后(じんぐうこうごう)との不思議なつながりが隠れているんです。

古代の日本の英雄が、ここでどのような出来事を経験したのか、そしてその影響が現在の御影にどのように息づいているのでしょうか?

御影の町を訪れることで、あなたもこの神秘的な物語の一部に触れることができるかもしれません。
さあ、神功皇后の足跡を辿りながら、御影の魅力を紐解いていきましょう。

御影の地名の由来

神戸市東灘区には、阪神電鉄と阪急電鉄の御影(みかげ)駅の他にも、御影石町(みかげいしまち)や御影塚町(みかげつかまち)、御影本町(みかげほんまち)など、御影という名前がつく地域が多く存在します。
このエリアは、1950年(昭和25年)まで武庫(むこ)郡御影町として知られていました。

御影という地名の由来には、いくつかの興味深い説があります。

神功皇后と澤之井の伝説

一つ目は、神功皇后(じんぐうこうごう)がこの地の泉に自らの姿を映したことが由来だとする説です。

郷土史『御影町誌』によると、阪神御影駅の南口近くにある井戸「澤之井(さわのい)」は、神功皇后が三韓征伐からの帰還時に化粧をするために利用した泉とされています。

その際、皇后の美しい顔が水面に鮮やかに映し出されたことから、御影という地名が名付けられたというのです。

神功皇后とは?

神功皇后は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子である14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后であり、15代応神天皇(おうじんてんのう)の母とされています。
彼女は神と交わる力を持つ巫女的な存在とされ、そのエピソードはどれも神秘的な要素を含んでいます。

特に有名なのは、「朝鮮の新羅(しらぎ)を征服せよとの神託を受けた」とされる「三韓征伐伝説」です。
急死した夫の仲哀天皇に代わり、神功皇后は女将軍として軍を指揮し、朝鮮半島に出征しました。
彼女は見事に新羅を制圧し、百済(くだら)や高句麗(こうくり)を含む三韓を帰服させたと伝えられています。

実は、神功皇后は明治時代に再び注目を集めました。
1881年(明治14年)に日本で初めて肖像入りの紙幣が発行された際、その最初の人物に選ばれたのです。
また、明治から太平洋戦争終戦にかけて、教科書にも掲載され、実在の人物として広く知られていました。

しかし、多くの神秘的な逸話が事実とは考えにくいとされ、現在では神功皇后の実在についてもさまざまな見解が存在しています。

鏡作部と覚美の由来

別の説では、この地域にはかつて菟原郡覚美郷(うばらのこおりかがみごう)が存在し、青銅細工に関わる技術者たち、鏡作部(かかみつくりべ)が居住していたことに由来すると言われています。
この地名の「覚美」は「鏡」に由来し、鏡に映る影を意味する「カゲミ(影見)」が変化して御影になったとされています。

天御影命と地名の関係

また、河内国(かわちのくに)にある魂(たま)神社の古い祭神、天御影命(あまのみかげのみこと)に由来する説も存在します。

醸造の伝承

前述の神功皇后にかかる「澤之井」には、他にも興味深い伝承があります。

南北朝時代には、この泉の水を使って酒を醸造し、後醍醐(ごだいご)天皇に献上したところ、大変喜ばれたというエピソードがあります。

このような歴史的背景が、御影の文化や風土を豊かにしているのです。

御影郷と日本酒の文化

お酒と言えば、東灘区には日本酒の名産地である「灘五郷」の一つ、「御影郷」もあり、白鶴(はくつる)や菊正宗(きくまさむね)など、伝統的な酒造メーカーが今も健在です。

御影は、澤之井や御影郷といった水と深い関わりを持つ地域でもあり、その豊かな水源が地酒の品質を支えています。

御影石の由来と地域の石材産業

また、御影は水だけでなく、石材とも深いつながりがあります。

六甲山地は、豊富な花崗岩(かこうがん)の産地であり、その美しい結晶構造と優れた耐久性から、建材や装飾材として非常に人気があります。
特に御影地域では、六甲山で採掘された花崗岩が加工され、高品質な御影石として市場に出回りました。
この石が広く知られるようになると、花崗岩の一般名として「御影石」という呼び名が浸透していきました。

石屋村と石屋川の歴史

現在も残る御影石町は、旧村名の石屋村(いしやむら)から名付けられたもので、石屋村は石作連(いしつくりのむらじ)という豪族が住んでいたことに由来しています。

また、六甲山を水源とする石屋川という名称も、御影石との関係があるのです。
六甲山から切り出された御影石を加工する石材屋が川沿いに集まっていたことから、この名前が付けられたと言われています。

御影を訪れる魅力

このように、御影には歴史的な背景や文化、自然環境が豊かに息づいており、地域の人々の生活に深く根ざしています。
訪れる人々は、地元の文化や歴史を感じながら、魅力的なスポットを楽しむことができるでしょう。
御影の地を訪れた際には、ぜひその美しい風景や歴史的な名所を巡り、地域の人々と触れ合ってみてください。
新たな発見があるかもしれません。

さいごに

御影という地名には、神功皇后の伝説や地域の歴史が深く根付いています。
澤之井の水面に映った彼女の姿が、今なおこの地を象徴する物語として語り継がれています。
また、かつての菟原郡覚美郷や鏡作部との関わり、さらには河内国の神社に由来する説もあり、御影の名は多様な文化的背景を持っています。

さらに、御影郷として知られる日本酒の生産地や、御影石の名の由来に見られるように、自然環境と人々の暮らしが密接に結びついています。

神戸市東灘区の御影は、単なる地名ではなく、古代の英雄や文化が息づく特別な場所です。
訪れる際には、ぜひその歴史を感じ、地域の人々との交流を楽しんでみてください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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