神戸

神戸から全国へ広まった!紅茶・コーヒー・スイーツの発祥地

神戸と聞いて思い浮かぶのは、おしゃれな港町や美しい夜景かもしれません。
しかし、この街は実は日本における紅茶やコーヒー、そしてスイーツの発祥地でもあるのです。
今回は、神戸から全国に広まった意外なものたちをご紹介します。

神戸の紅茶文化

総務省統計局の調査によれば、神戸市は全国の県庁所在地と政令指定都市の中で、市民一人当たりの紅茶購入量が年間約378グラムで全国第1位です。
つまり、神戸は家庭ごとの紅茶消費量が全国で最も多い都市なのです。
その理由の一つは、神戸港の開港時に大量の紅茶が海外から入ってきたこと、そして神戸に住む外国人、なかでも特にイギリス人によって紅茶が普及したことにあります。

コーヒーと喫茶店の始まり

では、コーヒーとは関係が薄いのでしょうか?
実はそうではありません。
神戸は日本のコーヒー販売の発祥地であり、コーヒーを提供するカフェの発祥地でもあるのです。

神戸の元町の「放香堂」は、神戸港の開港に伴いコーヒー豆の輸入を開始しました。
そして1878年には、「焦製飲料コフィー、弊店にてご飲料あるいは粉にてお求め自由」という広告を新聞に掲載しました。
「焦製(しょうせい)」とは「焙煎(ばいせん)」のことで、焦製飲料コフィーは「焙煎された飲み物であるコーヒー」を意味します。
これを店内で飲めるということは、喫茶コーナー、つまりカフェが設けられていたということです。
また、「粉にてお求め自由」とは、コーヒー豆を挽いて販売していたことを示しています。

放香堂

©KOBE TOURISM BUREAU

インド産アラビカ豆を使った伝統のコーヒー再現
放香堂は長い時間をかけて残された資料を基に「焦製飲料コフィー」を再現することに成功しました。
現在使用しているのも同じくインド産のアラビカ豆の深煎りタイプです。当時はコーヒーミルが存在せず、豆を挽くのは石臼を使っていたため、現在もその方法を再現しています。
店頭の看板も「珈琲」ではなく「加琲」と表記されており、その歴史の重みを感じさせます。

コーヒーの名は「麟太郎」
この特別なコーヒーは、当時の淹れ方を忠実に再現しています。
熱湯に浸して抽出し、フィルターを使わないフレンチプレス方式で提供されるのです。試行錯誤の末に再現されたこのコーヒーには、「麟太郎」という特別な名前が付けられています。
麟太郎は勝海舟の幼名であり、幕末の神戸には坂本龍馬らもいた「神戸海軍操練所」がありました。
この操練所の設置を進言したのが勝海舟であったことから、その名を冠しています。「麟太郎」はポットでも提供され、ポットだと二杯ほどの量になります。
じっくりとその味わいを楽しんでください。

博物館にも残る当時の賑わい
放香堂は天保年間(1830年)に創業し、宇治茶の主産地に自社農園や自社工場を持っていました。そのお茶を輸出するために、開港したばかりの神戸に輸出商館を設け、その後元町に店舗を構えました。
当時の様子は、店内に飾られた明治15年の版画(神戸市立博物館所蔵のレプリカ)で見ることができます。
大きな店の軒下には「宇治製銘茶」と「印度産 加琲 放香堂」という二つの看板が掲げられ、その前を多くの人々が行き交う様子が描かれています。
この版画を通して、150年前からこの辺りがいかに賑わっていたかを知ることができるでしょう。

放香堂
神戸港と共にはじまった日本最古のコーヒー店
お茶とコーヒー二つの看板を掲げた「方香堂」


〒650-0022
兵庫県神戸市中央区元町通3-10-6
078-331-3117

放香堂本店
営業時間:10〜19時
定休日 :水曜日

放香堂加琲
営業時間:9〜18時(LO.17時30分)
定休日 :不定休

神戸発祥のスイーツ・バームクーヘン

コーヒーや紅茶一緒に楽しむお菓子の中にも、神戸から全国に広がったものがたくさんあります。
神戸はケーキなどのスイーツの一世帯あたりの消費量が全国で最も多い都市でもあります。

ドイツ人のカール・ユーハイムが三宮に洋菓子店を開業し、日本で初めてドイツの伝統菓子「バームクーヘン」を販売しました。
当時、バームクーヘンは日本人に馴染みがなかったため「ピラミッドケーキ」と呼ばれていましたが、1960年代に名前が改められてから一般に知られるようになりました。
ちなみに、カール・ユーハイムが創業した洋菓子メーカー「ユーハイム」は、現在も神戸市に本社を構えており、その伝統を引き継いでいます。

ユーハイムの歴史

1909年 ドイツ人菓子職人のカール・ユーハイムは青島市で「ジータス&プランベック菓子店」を譲り受け、23歳にして独立。株式会社ユーハイムはこの年を創業年と位置づけている。
1913年 「菓子・喫茶の店ユーハイム」をオープン。
1914年 第一次世界大戦でカールは日本軍の捕虜となり日本へ。
1919年 広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)にて開催された「ドイツ作品展示会」で日本初のバウムクーヘンを焼く。
1920年 捕虜生活から解放。青島に残っていた妻子を呼び寄せ、東京で喫茶店に勤務。後に一家は横浜へ移り住む。
1922年 横浜で「E・ユーハイム」をオープン。日本での永住を決意。
1923年 関東大震災により店を失い、神戸へと移り「ユーハイム」神戸1号店を開く。
1945年 カールは第二次世界大戦終結直前に他界。そして戦後、カールの妻エリーゼは国外退去処分になる。
1947年 残された職人たちで「ユーハイム商店」設立。
1953年 職人たちの念願が叶い、再来日したエリーゼを社長に迎えて会社組織化し、再出発。

神戸発祥のスイーツ・ウイスキーボンボンとバレンタインチョコ

半球形のチョコレートの中にウイスキーが入っている「ウイスキーボンボン」は、神戸から全国に広まったお菓子の一つです。
このウイスキーボンボンは、1923年(大正12年)にロシアから日本に逃れてきたロシア人菓子職人のマカロフ・ゴンチャロフが北野町に店を構えて販売を開始したのが日本での起源とされています。
このゴンチャロフ製菓は、神戸の老舗として現在もその伝統を守り続けています。

さらに、バレンタインデーに贈るチョコレートも神戸が発祥の地であると言われています。
1931年(昭和6年)に設立された「神戸モロゾフ製菓(現モロゾフ)」が、カタログで「バレンタインの愛の贈り物はスイートハート」と宣伝したのが始まりとされています。
このキャンペーンがきっかけとなり、日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が広まったのです。

まとめ

このように、コーヒー、紅茶、そしてスイーツのいずれも神戸が発祥の地であり、その歴史や文化が現在まで続いていることは非常に興味深いことです。
神戸は、その豊かな食文化と歴史を背景に、今もなお新しいスイーツを生み出し続けています。

神戸を訪れた際には、カフェや洋菓子店を訪れ、ぜひこれらの美味しい文化に触れてみてください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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