日本の時間がどこで決まっているか、考えたことはありますか?
実は、その答えは兵庫県にあるのです。
日本標準時を決める子午線(しごせん)は、東経135度のラインに位置し、兵庫県明石市を中心に通っています。
地球の時間を決める壮大な物語が、この場所に隠されているのです。
本記事では、この子午線の歴史や興味深いエピソードを探りながら、私たちが普段何気なく使っている「時間」がどのように決められているのかをわかりやすく解説していきます。
ぜひ最後までお読みください!
日本の標準時を決める東経135度
日本の標準時を決定するための基準となっているのが、東経135度の子午線です。
子午線とは、地球上で真北と真南を結ぶ仮想の線のことを指します。
この日本標準時子午線は、兵庫県や京都府などを通過しており、特に兵庫県内を多く通ることから「日本の時間は兵庫県にある」とも言われることがあります。
地方時から国際基準へ
もともと地球は24時間で一回転しているため、経度15度ごとに1時間の時差が生じるのが基本です。
日本の標準時が定められる前は、各地域で太陽が最も高い位置に来る時刻を「正午」とし、これを基にした「地方時」を使っていました。
しかし、交通手段や通信技術が発達するにつれて、各地で異なる時間を用いるのは不便となっていきました。
そんな背景もあって、1884年に「万国子午線会議」が開かれ、国際的な基準を決めることが議論されました。
そこで、イギリスのグリニッジ天文台を通る経度0度線が本子午線として採用されることになります。
興味深いことに、フランスのパリ天文台も候補に上がっていたものの、惜しくも選ばれませんでした。
もしパリが採用されていた場合、日本の基準子午線は今とは異なり、愛知県の豊橋市が東経135度に位置することになっていました。
明治時代に定められた日本の標準時
明治政府は、1886年にこの国際基準に基づき、東経135度を日本の標準時子午線として定めました。
その理由は、東経135度が日本の北端である北海道と南端の沖縄の中間に位置しているためです。
この子午線が通ることで有名な兵庫県明石市では、1928年に初めて天文観測による経度測定が行われ、記念として「トンボの標識」と呼ばれるモニュメントが建てられました。
子午線の再測定と時間のズレ
しかし、第二次世界大戦中の空襲でこの標識は被害を受け、1951年に再度、正確な測定が行われました。
このとき、初回の測定からわずか11.1メートル東側に子午線が位置していることが判明し、その結果、日本の標準時は23年間にわたり、約0.03秒の遅れがあったことがわかりました。
明石市立天文科学館と複数の子午線
1951年の再測定を基に、1960年には明石市立天文科学館が開館し、子午線をテーマにした展示が行われています。
ここで混乱を招くのが、経度には「天文経度」と「測地経度」という2種類が存在することです。
天文経度は特定の地点での天体観測によって決定されますが、測地経度は地図作成や測量に使用されます。
日本では以前、日本測地系を用いており、これに基づく東経135度の子午線は、天文科学館から西に370メートルの明石市役所付近を通っていました。
明石市立天文科学館では「天文経度」と「測地経度」という2種類の子午線の違いが学べます。
法改正による測地系の変更
その後、2002年に法律が改正され、測地系は「日本測地系」から世界基準である「世界測地系」に変更されました。
これにより、現在の東経135度の子午線は天文科学館の西120メートル付近を通過しています。
しかし、天文経度に基づく子午線は観測地点に固有のものであるため、こうした基準の変更によって影響を受けることはありません。
このように、子午線には複数の基準があるため、地元の兵庫県民でも混乱することがあるかもしれません。
子午線観光で宇宙の神秘に触れる
〇兵庫県明石市を訪れた際は、子午線にまつわる観光スポットを巡ってみましょう。時間と宇宙のロマンを感じられる素晴らしい体験が待っています。
まとめ
日本の標準時を決める東経135度の子午線は、兵庫県を中心に通り、時間の基準として重要な役割を果たしています。
明治時代に定められたこの子午線は、交通や通信の発展とともに全国統一の時間制度を支え、現代の生活にも大きな影響を与えています。
また、天文観測や法改正による経度の調整が行われ、現在も正確な日本標準時が保たれています。
兵庫県明石市を訪れる際には、ぜひこの子午線に関連するスポットを巡り、時間と宇宙のロマンを体感してみてください。
最後までご覧いただきありがとうございました。