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明石焼きはなぜ玉子焼き?たこ焼きとの驚きの関係!なぜダシ汁につける?明石焼き物語。

「明石焼き」ー その名前を聞いたことがある人は多いでしょう。
透き通ったダシ汁につけて食べる、ふわふわの玉子焼き。
兵庫県明石市の名物として知られるこの郷土料理には、実は知られざる歴史と魅力が隠されています。

なぜ「玉子焼き」と呼ばれるようになったのか?
なぜタコが使われるようになったのか?
そして、大阪の名物「たこ焼き」とはどんな関係があるのでしょうか?

この記事では、明石焼きの誕生から現在に至るまでの興味深い物語を紐解きます。
江戸時代末期にさかのぼる起源、地元で「玉子焼き」と呼ばれる理由、そして明石タコが果たした重要な役割まで。
わかりやすく説明していきます。

明石焼き(玉子焼き)

明石の名物料理「明石焼き(玉子焼き)」は、独特の製法で作られます。
主な材料は、小麦粉、じん粉(小麦から抽出した特殊なデンプン)、卵、そして明石タコです。
これらを混ぜ合わせた生地を、熱伝導性に銅板の調理器具で焼き上げます。

出来上がった料理は、四角い木の板に載せられ、お客様に提供されます。
食べる際には、特製のだし汁につけて楽しみます。

この料理の特徴的な食感の秘密は、通常の小麦粉に加えて使用されるじん粉にあります。
このデンプンは加熱しても固くならない性質を持っており、明石焼きにふんわりとした柔らかさをもたらします。

また、調理器具の選択も重要です。
熱の伝わりが良い銅で作られた専用の器具を使用することで、均一な加熱が可能となり、理想的な食感を実現しています。

これらの工夫により、やわらかでふんわりとした独特の食感が生まれ、多くの人々に愛される郷土料理となっているのです。

明石焼きの始まり

江戸時代末期の起源

江戸時代の終わり頃、明石には「明石玉」と呼ばれる特産品がありました。
これは地域の重要な産業の一つでした。
「明石玉」は、卵白を接着剤として使い、硝石(しょうせき)などの材料を固めて作られた人工のサンゴのようなもので、主にかんざしなどの装飾品に使用されていました。

明石焼き(地元では玉子焼とも呼ばれる)の起源については諸説ありますが、興味深い説の一つに次のようなものがあります。
「明石玉」の製造過程で大量に余ってしまう卵黄を有効活用しようと考えた人がいました。
そこで、その卵黄に小麦粉を混ぜ、さらに明石の海で豊富に獲れるタコを具材として加えて調理したのが、明石焼きの始まりだというのです。

この説によれば、地域の伝統工芸品である「明石玉」の副産物から生まれた料理が、やがて明石を代表する名物へと発展していったことになります。
地域の資源を無駄なく活用する知恵から生まれた食文化の一例と言えるでしょう。

なぜ「玉子焼き」と呼ばれたの?

その後、現在の明石市樽屋町(たるやちょう)の近くに明石焼きを売る屋台が現れました。
当時は卵が貴重だったので、卵を使っていることをアピールして「玉子焼き」という名前で売り出したんです。

ダシ汁につける理由

明石焼きは、ダシ汁につけて食べるのが特徴です。
これには理由があります。

明石焼きの初期の形態は、現在のものとはやや異なっていました。
当時は、一個ずつ販売されることもあり、シンプルに焼き上げただけの状態で提供されていたようです。
特別な調味料やつけ汁はなく、素朴な味わいを楽しむものでした。

しかし、時代とともに食べ方に変化が生まれました。
その場ですぐに美味しく食べられるよう、工夫が加えられたのです。熱々の明石焼きを冷ましつつ、さらに風味を引き立てる方法として、あらかじめ用意された冷めただし汁に浸して食べるスタイルが確立されました。
この新しい食べ方は、明石焼きの味わいを一層引き立てるだけでなく、熱さを和らげる実用的な側面もありました。

ダシ汁につけて食べる食べ方は、焼きたてのアツアツの玉子焼きを冷まして食べるためだったんです。

明石タコが使われるようになった理由

地元で豊富に獲れるタコ

最初は具材としてコンニャクが使われていましたが、やがて地元で獲れる明石タコを使うようになりました。
なぜタコを使うようになったのでしょうか?

明石では、ほぼ1年中タコがたくさん獲れます。
他の地域では高級食材として扱われるタコも、明石では比較的安く手に入れることができたんです。
そのため、明石焼きの具材として使われるようになりました。

明石タコの特徴

明石タコは、「日本一おいしいタコ」と呼ばれています。
その理由は2つあります。

  1. 明石海峡の速い潮流で育つため、身がしまっていて、コリコリとした食感があります。
  2. 明石海峡にはエビやカニがたくさんいて、タコはそれらを食べて育つので、身が美味しくなります。

このような特徴を持つ明石タコを使った玉子焼きは、とても美味しいものになりました。

たこ焼きとの関係

明石焼きが先駆け

大阪の名物として有名な「たこ焼き」も、タコを具材として使います。でも、実は明石焼きの方が歴史は古いんです。
さらに、「たこ焼きは明石焼きから生まれた」という説もあります。

たこ焼き誕生の秘話~明石焼きからたこ焼きへの進化

大阪の名物料理であるたこ焼きは、明石焼きと同様にタコを具材として使用していますが、実は明石焼きの方が歴史が古いとされています。
さらに、たこ焼きが玉子焼きから派生したという説があるんです。

大正から昭和初期にかけて、明石焼きを元にした新しい料理が考案されました。
その一つが「ちょぼ焼き」で、小麦粉とコンニャクをくぼみのある鉄板で焼いたものなのです。
ちなみに、「ちょぼ」とは当時普及し始めたラジオのつまみを指す俗称で、「小さな」という意味があります。
また、「ラジオ焼き」という料理も登場しました。
これは、ダシ汁で溶いた小麦粉の生地にすじ肉やコンニャクを加えて焼いたものでした。

1935年(昭和10年)、大阪でラジオ焼きを屋台で提供していた会津屋の店主、遠藤留吉が、「もっと美味しい大人の味を提供したい」と考えたことが、たこ焼き誕生のきっかけとなりました。
ある日、「大阪では肉を使うけれど、明石ではタコを入れているよね」というお客様の声を耳にした留吉は、そのアイデアを取り入れ、小麦粉を醤油味のダシ汁で溶き、明石タコを具材にして焼き上げました。
これがたこ焼きの起源となり、現在の「たこ焼き」という名称もこの時に誕生したものなんです。

こうして見てみると、明石焼きから派生したタコを使用しないラジオ焼き、そしてさらにタコを加えたたこ焼きが生まれたという流れが明らかになります。
明石海峡で育ったタコが、明石焼きとたこ焼きの架け橋となったのです。

明石焼きの魅力

明石焼きの魅力は、ふわふわした玉子の食感と、コリコリとした明石タコの食感が組み合わさっているところです。
さらに、透明なダシ汁につけて食べることで、さっぱりとした味わいを楽しむことができます。

地元の人たちにとって、明石焼きは日常的な食べ物です。
家庭でも簡単に作ることができるので、おやつや軽食として親しまれています。
また、観光客にとっては、明石の名物として人気があり、お土産としても喜ばれています。

明石焼きを楽しむコツ

明石焼きを美味しく食べるコツをいくつか紹介します。

  1. 熱いうちに食べる:焼きたての熱々の状態で食べるのが一番美味しいです。
  2. ダシ汁の温度:ダシ汁は熱すぎず、ぬるすぎない程度の温度が理想的です。
  3. つけ方:明石焼きをダシ汁に軽くつけて食べます。長くつけすぎると崩れてしまうので注意しましょう。
  4. 薬味:好みで青ねぎやしょうがを添えて食べるのもおすすめです。

明石焼きの未来

明石焼きは、長い歴史を持つ郷土料理ですが、時代とともに少しずつ変化しています。
最近では、タコ以外の具材を使ったバリエーションも登場しています。例えば、チーズや明太子を入れたものなど、新しい味を楽しむことができます。

また、健康志向の高まりに合わせて、小麦粉の代わりに米粉を使ったグルテンフリーの明石焼きなど、新しい取り組みも行われています。

しかし、多くの人々は伝統的な明石焼きの味を好んでいます。
明石市では、明石焼きを地域の文化遺産として大切に守り、次の世代に伝えていく取り組みも行われています。

明石焼きは、単なる食べ物ではなく、明石の歴史や文化、そして海の恵みを感じることができる郷土料理です。
これからも、多くの人々に愛され続けることでしょう。

まとめ

明石焼きは、単なる郷土料理以上の存在であることがおわかりいただけたでしょうか。
江戸時代末期に誕生したこの料理は、明石の歴史と文化を凝縮した一品と言えます。
卵の有効活用から生まれ、地元の海の恵みである明石タコを取り入れることで独自の進化を遂げました。
そして、その影響は明石市を超えて広がり、大阪の名物たこ焼きの誕生にもつながっていったのです。

明石焼きの魅力は、ふわふわとした玉子の食感とコリコリとしたタコの食感、そして澄んだダシ汁との絶妙なハーモニーにあります。
地元の人々に愛され、観光客を魅了し続けるこの料理は、時代とともに少しずつ形を変えながらも、その本質的な美味しさを守り続けています。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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